湯山 富士雄

芝一丁目には、幕末から創業という江戸表具の老舗『湯山春峰堂』があります。

 

「初代は尊王壌夷でわきかえる京都に駆けつけたという気骨ある武士でした。ですが武士を捨て、もともと手が器用だったのでしょう、今の早稲田の辺りで経師屋を開いたんだそうです」と創業者の孫となる三代目の湯山富士雄さん。

 

「次男でしたから家業を継ぐとは思っていなかったんですが、18歳のとき、どうしてもと親父に懇願されましてね。後を継ぐことを決めました」当時、5、6名の職人さんが従業員として働いていた湯山春峰堂。先代限りで店が終わるとなれば、職人さんたちの生活基盤がなくなってしまいます。そんな無責任なことはできない、という先代の経営者としての責任の重さに感じ入ったからだといいます。現在、従業員は20数名。後を継いだ湯山さんは、企業として確実に発展させています。

 

「いやいや、順風満帆というわけではありません。むかしながらの技術を好むお客様は年々減っているのが現状なんですよ。ですから伝統工芸だけにこだわっていては、我々が存続できない状況になってきています」

 

従来の日本家屋に根差した表具技術は、近年の建築様式の変化によって、従来の伝統工芸の手法では合わなくなってきています。

 

「いい例が、表具の本場である京都の話。京都はそのむかし間口が狭く、奥に長い建築だったんです。掛軸は、中ほどの部屋に飾られることが多いので、比較的暗い空間に飾られます。これに合わせて表具技術が確立されたわけです。電灯が発達して明るい部屋になっても伝統技法を崩さないから、掛軸を見ると何か取り合わせが悪い。ところが、部屋が明るい建築様式だった江戸に根付いた表具技術は、明るい空間で作品が際立つような取り合わせが確立されてきたんです。江戸表具の方がセンスがいい、などといわれると伝統を守ることの難しさを感じますよね」湯山さんは、これからは伝統技術を継承していくだけではなく、多様化する要望に順応していくことも大切であるといいます。

 

「伝統工芸のいい部分を残しながら現在のニーズに合わせ、時代が技術を育ててくれれば、やがてそれが伝統となる」職人として、経営者として、湯山さんは今後の伝統工芸に新たな光りを見い出しています。

(株)湯山春峰堂・芝一丁目