伊東 良継

昭和の初めから、新橋に店を構える三味線の老舗石村屋。江戸時代に三味線づくりの名匠といわれた石村近江の名前を屋号に冠していることからも、三味線づくりへの気概がうかがえます。

 

「先代がここで始めたんですが、そのころは花柳界真っ盛りの時代で、新橋界隈は反物屋や履物屋など芸妓さんのためのお店がたくさんあったそうですよ。三味線屋なんて新橋から虎ノ門まで15軒はあったというんだから、今からじゃ想像つきません」と話すのは二代目の伊東良継さん。伊東さんが三味線づくりの道に入ったのは昭和40年代はじめ、22歳のときでした。このころは、三味線の需要も落ち着いていたといいます。

 

「学生のころから親父の仕事を手伝っていて、何となく目で手順は覚えていましたね。親子二人で仕事するには、仕事量もちょうどよかった」とはいえ、修行時代は苦心の連続であったといいます。

 

「受注生産ですから、お客様のご要望をうかがってつくり始めるんです。そこで分かってきたのが、気持ちの優しいお客様にカチッとした音の三味線は気に入っていただけない。反対に勝ち気なお客様には、やわらかい音色の三味線はダメなんです。お客様それぞれの個性に合わせたものを職人の技術・技量でつくっていくんだ、ということですね。いってみれば、お客様に育てていただくということです。あとは、一挺一挺、心を込めて丁寧につくっていくだけです」と伊東さん。

 

見た目の美しさにも驚かされますが、楽器であるだけに、その音色が一番重要です。「三味線の最大の魅力は、むかしから愛されている「サワリ」といわれる音。独特の余韻というか響きです。日本人って原色よりも中間色を好むといわれるように、はっきりした音よりも複雑な響きが好まれるんですね」と、伊東さんは自ら手がけた三味線の何とも艶のある音色を聴かせてくださいます。

 

「三味線は手づくりというむかしながらの伝統を受け継いでいるから存在価値がある。これからも息子とともに、この音色をつくり続けますよ」

 

いまだ先代の三味線が目標と語る伊東さん。親子二人三脚の音づくりは始まったばかりです。

 

石村屋・新橋三丁目