フォースタートアップス株式会社
フォースタートアップス株式会社
スタートアップ支援で、日本が再成長できる国へ。
フォースタートアップス株式会社
代表取締役社長志水 雄一郎さん
スタートアップ支援事業 成長産業支援事業
フォースタートアップス株式会社
代表取締役社長 志水 雄一郎さん
Yuichiro Shimizu
[プロフィール]
株式会社インテリジェンス(現パーソルキャリア株式会社)にて『DODA』立ち上げなどを経て、2016年に成長産業支援事業を推進する株式会社ネットジンザイバンク(現フォースタートアップス株式会社)を創業、代表取締役社長に就任。2016年『Japan Headhunter Awards』にて国内初『殿堂』入りHeadhunter認定。2019年より日本ベンチャーキャピタル協会ベンチャーエコシステム委員会委員に、2020年より経団連スタートアップ委員会企画部会/スタートアップ政策タスクフォース委員に就任。2021年に一般社団法人経済同友会に、2022年に一般社団法人関西経済同友会に入会。
スタートアップのための、すべての仕組みをつくる。
フォースタートアップスの事業は、「スタートアップの成長に寄与し、日本の成長を支える」ことが根幹にあります。
スタートアップが成長するために必要なキャピタル(資本)には、ヒト、カネ、戦略などがあります。フォースタートアップスが目指す世界観は、新たな挑戦をされたい方々の成長を支えるために、全ての仕組みをつくることです。
そのなかで、フォースタートアップス自らも成長するために、進化の順番をつくってきました。
法人を設立する際には設立趣意書を書きましたが、私たちの設立趣意書には「データドリブンなハイブリットキャピタルを創造する」と書いてあります。私たちの言うハイブリッドキャピタルは、ヒト(人材支援)、カネ(資金支援)両方を軸としています。
アメリカには、アンドリーセン・ホロウィッツやセコイア・キャピタルなどトップティアのVC(ベンチャーキャピタル)群が存在します。このようなVC群が、GAFAM(Google、Amazon、Facebook、Apple、Microsoft)などを生み出しているわけです。
となると、私たちがスタートアップを支援するために、先ほどのようなキャピタルをどのように競争力のあるソリューションサービスとして立ち上げていくのか、ということが重要なポイントになりました。
かつ、私たちが考えたことは、起業して会社をつくる理由は「日本が再成長できる国にしたい」ということが大前提にあるということです。
負けていることさえ知らない日本。
日本の教育において、「起業しなさい」「国を支えられるような、人類のイノベーションを起こせるような人になりなさい」と教えることができる人はほとんどいないと感じています。
「安定しなさい」と教えることは、要は「世界を見なければ、まあまあ幸せに生きていける」ということが、今の日本人の潜在意識に刷り込まれているからではないでしょうか。
しかし「安定しなさい」というようなキャリアは、「世界で負けなさい」と言っても過言ではないキャリア。学校も親も、多くの国民が、日本が負けていることを“知らない”のです。
IMDの「世界競争力年鑑」によると、1996年までの国の競争力は5位以内の高い順位で推移していました。その分、「安定しなさい、大企業に入りなさい進みなさい」という価値観も、当時としては正しかった側面もあったのです。
しかし、この失われた30年間で何が起きたのかというと、日本は負け続けてしまったのです。
金融システム不安が表面化した1997年には国の競争力は17位に急落。2018年時点において25位に留まり、「失われた30年」と表現されるようになりました。
近い将来、生活水準や賃金水準は恐らくもっと下がることでしょう。日本は世界で負けている国家となり、世界から見ても国民が貧しくなり、言葉を選ばないで言えば希望を持ちにくい状況となるのではないかと考えています。
私自身、この事実を知りませんでした。大企業で安定したキャリアを積み重ね、周りよりちょっと給与が良くて、いい家に住み、いい車に乗れればいい。そのような生き方をしていました。
私はこれを“知らない悪”と呼んでいます。そして、これを変えるために、今のフォースタートアップスの事業をつくり始めました。
大きなペインが、未来をつくるための原動力に。
私は新卒で株式会社インテリジェンス(現パーソルキャリア株式会社)に入社し、転職サイト『DODA』を立ち上げました。しかし、その成功体験にあぐらをかいてしまったのだと思います。40歳の頃に「窓際族」になってしまいました。
周囲からはきっと、給与だけ高くて暇な人と思われていたことでしょう。あの頃は「大きな事業をつくって牽引し、プロダクトを常に生み出すのが自分」と思っていましたから、私自身も相当堪えました。
ある時、時間に余裕ができたことで、人生を振り返りながら日本の現状を調べたことがありました。自分は社会に何か貢献したんだろうか、社会はどんな状態なんだろうかと。そして、日本の現状と将来を知り驚愕したのです。
私が汗水流して尽力してきたHR産業は大きく成長した一方で、日本の労働者の賃金は海外の先進国に比べて下がっており、日本全体が傾きはじめていることを知りました。人の支援をする会社が伸びれば伸びるほど「人が集って業を成し、業が集って国を成す」はずなのに…。日本が貧しくなりはじめていることを痛切に感じ、罪悪感を抱いたのです。
ふと、疑問が浮かびました。私だって高等教育を受けてきたのに、なぜ知らないんだろうと。「日本が豊かではない」という事実を知らなかったこと自体を、私は「知らない悪」と呼んでいますが、「知らない悪を解消しながら、もう一度日本や日本人の可能性を追求したい。よりよい日本の未来をつくる仕組みづくりがしたい」と強烈に思ったのです。この原体験が、私を今もずっと動かしつづける原動力となっています。
自分の時間と存在は社会のもの、心に宿った炎。
このタイミングで、HR業界のウィルグループと出会い、その一子会社一事業部からスタートしました。
自分ができることは何かと考えたとき、ひとつだけ得意なことがありました。それは、人と対話をすること。この強みを活かして、自分の言霊で人の心を動かし、共に社会課題の解決に努めてもらえるように、ひとりでも多くの人に挑戦してもらおうとリベンジさせてもらったのが、ヘッドハンターという職業です。
結果、ヘッドハンターとして、ビズリーチ主催の『Headhunter of The Year』において2年連続受賞。国内初の『殿堂』入り認定をいただくことができました。なぜ、結果を出せたかと今振り返ると「自分の時間と存在は社会のもの、社会を良くしなければ存在する必要性がない」と覚悟を決めたからだと思います。いつも「日本をいち早くよくするためには、自分がまずはトップを取らねばならない」とずっと心の中に炎を燃やしつづけていました。その想いは、消えることなく今も増すばかりです。
こうして、2016年45歳のとき、一事業部を法人分社化し、フォースタートアップス(設立当時は株式会社ネットジンザイバンク)を設立しました。
起業家を支援するからこそ、国内最短上場を目指す。
この挑戦の道のなかで私たちは、国内最短上場を目指しました。
私たちが支援する起業家の皆様は、創業から上場を目指しています。上場は1億円以上資金調達をしても確率は1%、創業から10年以上かかることもあります。このように、起業家の皆様が人生を賭けて挑んでいる。それにも関わらず、上場もしていない私たちの会社がご支援することに違和感を覚え、まずは私たちが国内最短上場をすることを決めました。起業家の苦労を味わっている方が、スタートアップをより本質的な支援ができ、何よりも誠実であるとも思ったからです。
IPO監査の審査期間が2年になってからの国内最短上場を目指しましたが、結果は失敗。それでも、2度目のチャレンジで、当時国内2番目のスピードで2020年3月に上場を果たしました。
起業への挑戦もさまざまなパターンがあり、当時の決断が正解だったかはわかりません。まだまだ山積している課題もあります。
課題はありますが、常に100%の正解を導くことはあり得ないことです。私は人が生きることは、「いかにして60〜80%の正解を導き、課題を解決しながら前に進むこと」だと思っています。その正解の角度を上げる努力は、今後も惜しみなくつづけてまいります。
投資家、起業家と連携し三者で成功を導く。
フォースタートアップスのひとつの強みは、投資家・起業家・当社が肩を組みながら、スタートアップの成長を後押しできること。
創業時は社員数が少なかったこともあり、VC・投資家から見て「投資先で日本の経済成長に寄与しうるスタートアップはどこか」を直接伺った上で、スタートアップ向けに特化した人材のご支援をするタレントエージェンシー事業に集中しました。
ご支援の仕方についてもこだわりがあります。CxOクラスなどのハイクラス層の組閣から関わらせていただき、その上で、起業家と共にどのようなチームが必要になるかを考えて、マネージャー層などのトップタレントのご紹介。このような形で、企業の根幹を担うコア人材から順にご支援をさせていただき、チームづくりに貢献してきました。
おかげさまで、メルカリやスマートニュースなどが、いち早くメジャーなチームになれるように貢献できたと思っています。これが私たちのブランドの礎となり、他のVCの皆様からもお声がけいただくきっかけとなりました。
一足飛びに「素晴らしいプラットフォームをつくった」ということは全くありません。投資家と起業家と組み、どのようにスタートアップのチームメイキングを成功に導くか。これだけをずっとやり続けてきたのです。
今では、上場を果たし、タレントエージェンシー事業に留まらない、スタートアップ・エコシステム構築に向けてた取り組みにも手を広げています。国内最大級の成長産業領域に特化した情報プラットフォーム「STARTUP DB(スタートアップデータベース)」の提供や、産官学連携を担うPublic Affairs、大企業連携を含むオープンイノベーション事業。2022年にはハイブリッドキャピタルとして人材の支援に加え、資金の支援を開始しています。
データドリブンなハイブリッドキャピタルの実現に向けて。
ふたつ目の強みは、『STARTUP DB』です。
運用当初、VCの皆様に伺った、日本の経済成長に寄与するスタートアップの情報を可視化し、インターネット上で広く皆様に活用いただけるデータベースとしてスタートしました。
スタートアップの場合、メディアに露出しているからといって、事業がうまくいっているとは限りません。ベンチャー投資が世界で11番目といわれる日本で、「どのスタートアップをどの順番で投資すべきか」という投資家目線の指針が、非常に重要です。この選択を間違えることで、お金も人も拡散させてしまい、日本の未来のアップデートスピードも遅れると考えました。
それらの情報をベースに、今では未上場で情報開示の義務がないスタートアップの情報がひと目で分かり、さらには投資家の情報なども含めてスタートアップ個社ごとの情報を網羅的に集約。今日では、『STARTUP DB』はスタートアップや大企業、投資家の皆様に留まらず、国や金融機関、メディア、学術研究などのさまざまな分野でご活用いただいています。
また、社外にご活用いただくだけでなく、社内の事業にも好影響を与えています。具体的には、タレントエージェンシー事業では的確な人のご支援に、有力なスタートアップを探す大企業にデータを提供すればオープンイノベーションに、官公庁向けの施策提案ではデータの開示によってPublic Affairsに大いに役立っています。
この他にも、海外の機関投資家に向けて、世界最大のベンチャーデータベース「Crunchbase」に対して日本のスタートアップのデータを提供するなど、さまざまな連携を生み出しています。
日本の未来をつくるために。
政府は2022年を「スタートアップ創出元年」として、年末までに「スタートアップ育成5か年計画」を策定する方針を打ち出しています。この政策の5年で火がつかなければ、その後は日本経済が縮小する可能性も否めません。日本も、スタートアップを盛り立て、日本初の新たな世界的企業を生み出す必要に迫られている状況です。
世界に目を向けてみれば、アメリカの国家価値の半分が、GAFAMをはじめとする成長産業から生まれています。アメリカは成長産業が生まれるための、裾野の広いエコシステムが産官学連携してつくられ、日本よりもスタートアップが育つ土壌が整っています。
今後私たちは、日本におけるスタートアップが育つ土壌を耕す一翼を担うべく、産官学連携した国内最大のスタートアップ支援のプラットフォームへと進化することが重要であると考えています。そのためのソリューションをもち、政府や大学、VC群やスタートアップ群、大企業とも連携を深めてまいります。
私は、組織や事業成長そのものよりも、「日本の未来は良くなったか」「若い人たちが未来に希望を感じられるようになったか」ということの方が大切だと思っています。そのためにつくられたチームですから。国内最大のスタートアップ支援のハブとして、世界に冠たる産業をつくるエコシステムの構築を目指し、その責任と役割をしっかりと果たしながら成長していきたいと考えています。
起業を目指す方へのメッセージ
世界はライフシフトしています。人生100年時代と言われるように、日本も長寿国家ですから、人生二毛作、三毛作でもっと勝負しようよ!と言いたいです。挑戦は最大のアンチエイジングだと思っています。世界を見れば、50代でも60代でも起業していますよ。
日本では、スタートアップは若い人たちのものというイメージがあるかもしれません。しかし、実施は熟練したプロフェッショナルこそ、挑戦できるものです。人生経験をお持ちの方のほうが起業の成功確率も高まるものですから。もしくは、人生を長く生きてきて、私のようにペインを感じて勝負するのもいいですね。
多様なペインが生まれるからこそ、そこから勝負すればいいのです。働き手だって同世代でたくさんいます。平均年齢60歳のチームであれば、50代だって若手ですよね。経験値もあるから全員で稼げるチームになるはずです。
世代に関係なく、みんなが挑戦したらいいと思うのです。そうやって少しでも挑戦する人たちが増えていくことを心から願っています。
記事投稿日:2022年10月10日