有限会社シライデザイン
有限会社シライデザイン
野山での体感から生まれる
「自分が本当に欲しいリュック」を販売
有限会社シライデザイン
代表取締役白井 要一

代表取締役
白井 要一さん/Yoichi Shirai
桑沢デザイン研究所卒業後、現コニカカメラデザイン部門を経て1980 年に工業デザインを行う有限会社シライデザインを設立。
2000年JAS機内誌販売「ニコンカメラバッグ」グッドデザイン賞受賞。2002年「ニコンカメラリュック」グッドデザイン賞受賞。
その後、ソニーファミリークラブ銀座ソニービルにて「シライデザインフェア」、新宿伊勢丹「シライデザインフェア」開催、山と渓谷社と共同製品開発、埼玉県草加市革職人会の草加皮革大賞審査員など、精力的な活動を続けている。
野山での体感から生まれる
「自分が本当に欲しいリュック」
―まずは、有限会社シライデザインの成り立ちと、現在の事業展開について教えてください。
シライデザインは、大きく分けて2つの事業で成り立っています。1つは、クライアントからの依頼を受けて製品化を支援する工業デザインの受託、もう1つは、自社で企画・製造・販売までを一貫して行う自社商品の事業です。
もともと工業デザインというのは、お客様からの依頼があって初めて成立する仕事です。工業デザインの手法を使って、木工のゲームや信楽焼の水筒に至るまで様々な業種の企業様からのご依頼に対して、製品化までのあらゆるプロセスをお手伝いするのが受託側の役割ですね。一方で、リュックやバッグといったアウトドア用品、オリジナルのペンなどはすべて自社商品です。これはメーカーとして、完成したものを直接お客様やお店に販売しています。
受託とメーカー、この2つの企業形態が並走しているのが弊社の特徴です。受託は、カメラなど光学機器といった精密機械からアウトドア用品まで多岐にわたりますが、自社商品に関しては私が本当に欲しいものを形にすることを最優先にしています。
―商品のコンセプトや、開発において大切にしていることは何でしょうか。
根幹にあるのは「いかに売れる商品を作るか」という視点ですが、それとともに「本当に役立つか」「美しい商品か」も重視しています。
私自身、中学時代から近くの丹沢や奥多摩に足を運ぶほど山歩きが好きだったのですが、バッグ製作の仕事を始めてからは、さらに定期的に山へ行くようになりました。最初は小さな集まりで登っていたのですが、今では登録メンバーが60名ほどいるNPOクラブになり、毎月20名前後の仲間と、中央線沿線の低山や丘陵歩きへ行っています。登山は仲間と思い出を共有し、下山後に温泉に入って宴会をするのが魅力なのですが、実はこの時間がすべてデザインに反映されているんです。
具体的には、まず試作したリュックを背負って野山へ行きます。実際に歩いて、登って、汗をかきながら「あそこが使いやすかった」「ここは改良の余地がある」と体感するわけです。あるいは実際に使用されたお客様のご意見をお聞きします。下山後、その知見をすぐに図面に落とし込み、改良したモデルを持ってまた山へ行く。この山での実証サイクルの中で、開発と製造を行っています。
例えば、弊社のリュックはショルダーベルトが一般的な背中側とは逆に表側についているモデルがありますが、これは背負った時に本体をグッと体に引き寄せ、荷重を安定させるため。さらに、ベルトがファスナー部分を押さえる形になるので、背負ったまま後ろから勝手に開けられるのを防ぐという防犯上のメリットもあるんです。これも現場での気づきから生まれた機能です。
ちなみに、最近のトレンドは軽量化ですが、私たちの商品は必ずしもそこを目指してはいません。もちろん、高齢の登山者が増えている中で軽量化は大きなテーマですが、競合大手メーカーと同じことをしていても意味がありません。大手のリュックでは得られない個性的なものを作り、納得の行く値段で売りたいと考えています。私が欲しいものを、同じように「シライデザインのものが欲しい」と言ってくれるファンが増えることが、作り手として一番の喜びです。
―大手メーカーとの違いとして、どんな点が挙げられますか。
特徴的な点でいうと「帆布(はんぷ)」です。最近の登山用リュックはカラフルで軽いナイロン製やポリエステル製が主流ですが、私たちはあえて綿100%の帆布にこだわっています。帆布は糸の太さによって号数が分かれていますが、弊社では4号帆布という太い糸を使った生地や9号帆布を多用しています。
これは今の軽量化という時代の流れには完全に逆行していますが丈夫で、使い込むほどに風合いが増していくんです。5年、10年と使い込むうちに生地がだんだん柔らかくなり、色も少しずつ退色してお客様独自の味が出てきます。SDGsの観点からも、使い捨てではなく土に還る自然素材である帆布は見直されています。この素材を使い、弊社指定の色で原反から染め上げるのですが、1ロール50メートルを、最低でも300メートル発注する必要があります。売れる保証がない中でこれだけの在庫を抱えるのは経営的にはリスクですが、納得のいく質感を出すためにこのチャレンジは欠かせません。
―とくに思い入れのある商品についても教えていただけますか。
例えば、F6サイズのスケッチブックが入るリュックがあります。これは山で本格的に絵を描きたいという方々から「今のスリムなリュックには大きなスケッチブックが入らない」という悩みを聞いたことがきっかけで誕生しました。
通勤用に使うことも考えるとA4ファイルやパソコンが入るというのはリュックとしては当たり前な一方で、F6サイズというのはかなり大きく幅も必要です。今のトレンドからは外れますが、私は「それが入るものを作ろう」という明確なコンセプトを打ち出しました。こうしたニッチな要望を形にできるのが、小回りの利く弊社の強みです。
また、ペンについても同じです。今はパソコンが主流かもしれませんが、私はデザインのアイデアを出す際、いつの時代も手で描くことも重要だと考えています。20年ほど前に非常に書きやすいボールペンに出会いました。ただ、中身は素晴らしいのに、見た目がどうも物足りない。もっとかっこいいデザインにできないかと考え、10年かけて完成させたのが、植物由来のアセテートという素材を使ったオリジナルのボールペンです。リュックのアイデアスケッチをボールペンで描く中で、より美しいものを求め自社でペンを開発したんです。
数多くの失敗と場数から生まれた
「迷いながらの確信」
―白井さんがデザインの道を志したきっかけは何だったのでしょうか。
原体験は幼稚園の頃まで遡ります。船の絵を描いたときに、先生にまったく褒められなかったんです。一方で、ほかの友達は絶賛されている。その時「なぜ彼は褒められて、私はダメだったのか」と子どもながらに気になり、そして悔しかったのを覚えています。それが「もっと上手く描きたい、形にしたい」という情熱の源流かもしれません。
それ以降は普段から絵を描いていた記憶はないのですが、絵を描くこと自体は好きだったので、高校卒業後はデザインの専門学校へ進み、工業デザイン事務所に就職しました。様々な仕事をしましたがキャリアの中で最も大きな影響を受けたのは、カメラメーカーのコニカ(現コニカミノルタ)のデザイン部門にいた時代です。当時は経験値があまりなく、デザインの良し悪しにも確信が持てなかったのですが、自分なりにオリジナリティを持たせつつ一眼レフカメラのデザインを担当しました。自分のデザインが製品化され店頭に並んだ喜びは、デザイナーの生きがいといえるほど格別でしたね。
コニカ時代の上司が大変な山好きで、かつコニカの山岳部が山小屋を所有していたこともあって、山好きの自分もよく一緒に山へ連れて行ってもらいました。そこでの経験を通じてカメラ・光学機器・山という3つの要素が自分の中で1つに結びついたんです。30歳前後というのは誰もが進路を悩む時期ですが、私はこの経験を経て、自分の進むべき方向を確信しました。
―デザインにおいて「これだ」という確信は、いつ頃生まれたのでしょうか。
確信というのは、やはり場数を踏むことで少しずつ得られるものだと思います。これまでのキャリアの中で、数多くの経験を積んできました。その中には成功もありますが、それ以上に数えきれないほどの失敗、ときには大失敗もありました。そうした経験をどれだけ積み重ねるかによって、自分なりの自信や確信が少しずつ形作られていく。これはどんな職業でも同じではないでしょうか。
ただ、実を言うと、未だに「これだ」という完璧な確信なんて持てていないんです。常に迷いの中にいます。自分が生み出したものが、世の中で絶対にヒット商品になるかどうかなんて、今でもはっきりとは分かりません。ただ、これだけ長くやってきて場数を踏んできたことで、「この課題に対しては、もうこの方向性しかないな」という最適解をある程度絞り込めるようにはなりました。
―デザインのヒントはどこから得ているのですか。
競合他社の商品は意識はしますが、見るとそちらに引っ張られてしまうので基本的にはあまり見ません。デザインされて店頭に並んでいる商品よりも、インテリア雑誌や車の雑誌を参考にします。「素敵な車でホテルに行くなら、どんなリュックが合うか」「船旅の寄港地を歩くならどんなものがいいか」といったイメージを膨らませることのほうが、ヒントになります。

商売の基本を守ることが
お客様からの信頼につながる
―独立・起業のきっかけは何だったのでしょうか。
最初から「起業しよう」と前向きで素直な気持ちだったわけではなく、前の職場での人間関係が理由で独立しました。その後は現在に至るまでメーカー様からプロダクトデザイン受託のお仕事が多くなったほか、バッグのほうでは伊勢丹本店でのイベントの評判が良かったことを皮切りに、伊勢丹の支店、関西の阪神・阪急、札幌の大丸、福岡の岩田屋・三越など、全国の主要都市の百貨店で販売してきました。現在は自社サイトなどネット販売のみに切り替えています。また、通販のソニーファミリークラブ(現ライトアップショッピングクラブ)とのお付き合いも25年以上になり、ヒット商品にも恵まれ今でも継続しています。
―先ほど「失敗」というお話もありましたが、これまでの失敗談をお聞かせいただけますか。
失敗談なら山ほどありますよ(笑)。カメラメーカーの要望を先取りしたつもりで、同じデザインの試作モデルを50台も作ったことがありました。ところが相手からは「そこまで言っていない」と拒否されてしまい、製作費はすべて自腹。当時の私には相当な痛手でしたが、そうした失敗を経て今日まで来ています。
―製造面についての苦労や、大切にしていることについて伺えますか。
今、国内で最も深刻なのは縫製業の衰退です。縫製専門の工場に生産をお願いしているのですが、大手メーカーはコストを抑えるために中国やベトナムへ拠点を移し、東京の下町などにたくさんあった小さな町工場は高齢化・後継者不足で、職人さんが辞めることによる廃業が相次いでいます。そんな状態ですから作る単価が高くなり、大手メーカーと比べて生産数が少ない弊社にとっては大変ですね。
そんな中、福島県にある50人規模の中堅工場と、製造当初から25年以上お付き合いを続けています。今では私の細かい指示を完璧に理解してくれますし、こちらの多少無理な要望まで聞いてくれます。かつて資金的に苦しかった時、工場の2階に大量の在庫をずっと無料で置かせてもらったこともありました。こうした深い信頼関係があるからこそ、私たちはクオリティを維持し、お客様に修理対応も提供できるんです。この工場と巡り合えたことで今でも事業を続けられていると考えると、感謝しかないですね。
私たちの商品は丈夫で10年以上使い続けてくださるリピーターの方がメインです。長く愛用すれば当然、穴が開いたりベルトがほつれたりすることもありますが、そうした場合でも部分的な交換修理が可能です。海外生産が主流の現代では、人材コストや手間の面から修理を嫌がるメーカーが多いですが、うちは国内の工場と直に繋がっているからこそ、最後まで責任を持つことができます。
―長年の経営において、白井さんが守り続けている哲学は何でしょうか。
特別なことではありません。商売の基本である「納期を守る」「嘘をつかない」「支払いをちゃんとする」。これに尽きます。納期が遅れそうなら正直に伝え、無理なお願いをする時も誠実に向き合う。今月納品されたものには、来月末に必ずお支払いをする。当たり前のことを積み重ねることが、工場やお客様からの信頼に繋がります。
また、デザインの指示を出す側としても、工場の都合や工程を熟知している必要があります。図面を書く際に、素材の特性やファスナーやベルトの種類に加えて現場が縫いやすいか、そのパーツは既成品で代用できるか、あるいは特注が必要か。場数を踏んだデザイナーだからこそできる、現場に寄り添った設計が可能になると思います。
やりたいことをやって、
早くにいろんな失敗を
―なぜ港区に拠点を置かれたのでしょうか。
以前はスタッフを抱えて運営していましたが、あるタイミングで「1人で再出発しよう」と決意した時期がありました。その際、拠点をどんな形態でどこに置くか検討したところ、当時出始めていたバーチャルオフィスが港区にあったのがきっかけです。自宅は埼玉ですが、港区に籍を置くことで得られるメリットは想像以上に大きかったですね。
港区は産業振興に対する支援が非常に手厚いです。例えば、東京ビッグサイトで開催される産業交流展に港区のブースとして無料で出展できたり、展示用の什器を借りられたりします。パンフレット作成に補助金が出るといったハード・ソフト両面でのサポートもあり、港区を選んでよかったなと思っています。
―港区産業振興センターの文化祭「みな・さんfes.2026」にも出展されたそうですね。
はい、2度目の参加になりました。2度の参加を通して売上面での手応え以上に、港区にこれほど多くの、そして多様な会社があるのだと知れたことが大きな収穫でした。
イベントを通じて「シライデザイン」という名前を知っていただいたこともうれしかったです。売上の期待というよりも、新しく地域の方々や他の企業さんと直接お会いできました。私たちの商品はネット販売がメインですが、やはり実物を見て、触れて、背負っていただく機会は格好の広報の場になります。
―最後に、これから起業を志す若い世代へアドバイスをお願いします。
「やりたいことをどんどんやって、早くいろんな失敗をしなさい」と言いたいですね。年齢を重ねてから失敗すると、体力面でも精神面でもダメージが大きく、失敗を回避するようになってしまいます。それを避けるという意味も含め、若いうちにたくさん失敗すれば、それがすべて「次はこうしよう」という貴重なノウハウになります。
会社員時代は給料が確保されていましたが、フリーになれば翌月の収入はゼロかも知れないという生活の不安と隣り合わせです。しかし、その不安が細かいところから信頼を積み上げ仕事を広げていくための最大の原動力になります。失敗を恐れず、どんどん挑戦してみること。その先にしか、自分に合ったやり方は見えてきません。

こちらの905散策リュックは「おもてなしセレクション2025」を受賞
記事投稿日:2026年3月22日




