イー・エム・デザイン株式会社

イー・エム・デザイン株式会社
「やってみる」から変わらぬ想いで続くジュエリーブランド。

 飛田 眞義さん

イー・エム・デザイン株式会社
飛田 眞義さん

ジュエリーやインテリア雑貨の企画・製造・卸販売 アクセサリーOEM・ノベルティ製作事業

 

 

イー・エム・デザイン株式会社

飛田 眞義さん

Masayoshi Tobita
[プロフィール]
1972年大阪生まれ。1996年、“みんながよろこぶモノづくり””ありそでなさそなモノづくり”を企業理念に、アクセサリーとインテリアのブランド「e.m.」を立ち上げる。同年、セレクトショップに卸売をスタート。翌年、H.P.DECOにて初めての「e.m.展」を開催。2001年、イー・エム・デザイン株式会社を設立。2003年、イー・エム・ボックス有限会社を設立。アトリエ兼住居として構えていた一軒家を改装し、1号店「e.m.box」をオープン。現在はフラッグシップショップであるe.m. 青山店をはじめ、伊勢丹新宿店本店など百貨店や商業施設に直営店舗を構える(2022年現在、全国に9店舗展開)。

 

独創的なジュエリーの自社ブランドを展開。

 
“みんながよろこぶモノづくり”“ありそでなさそなモノづくり”をコンセプトに、「e.m.」をはじめとする自社ブランドのオリジナルジュエリーの製造販売と、他社ブランドのアクセサリーなどを製造するアクセサリーOEM・ノベルティ製作事業を行っています。

 

会社としては、イー・エム・デザイン株式会社と、イー・エム・ボックス有限会社があります。
イー・エム・デザイン株式会社では、自社ブランドの企画、デザイン、製造、卸し、OEMやノベルティ製造を事業とし、イー・エム・ボックス有限会社は、主にイー・エム・デザイン株式会社でつくられた商品を仕入れ、店舗展開をしています。
ジュエリーにとどまらず、インテリアやグラフィックデザインなど幅広いクリエイションを行っています。

 

 

「やってみよう」からふたりで始めたe.m.

 
「e.m.」をブランドとして立ち上げたのは、1996年、24歳のとき。仲谷英二郎と一緒に、個人事業としてブランドを始めたことがきっかけでした。
 
僕と仲谷は、ともに大阪出身の同級生で、高校時代はサッカー部でずっと一緒という仲で。1996年以前は、東京でそれぞれ違うところで働いていました。
仲谷は、専門学校で彫金技術を学び、小さなアトリエでジュエリーの原型をつくる仕事をしていました。
僕は、版画を販売している会社で働いており、週末は地方へ出かけて、版画の展示会場をつくる仕事をしていました。
その会社の仲間たちが、「将来デザイナーになりたい」などみんな何かしらの夢をもっていて。その環境に刺激されて、僕も何かやってみたいと思ったんです。
モノづくりが好きだったし、仲谷も東京にいるならふたりで一緒にやってみようとなりました。

 
仲谷はジュエリーをつくる。さて僕は何ができるだろうか、と思ったとき、展示会場の設営の仕事をしていたこともあり、当時インテリアに興味があったので、自分で家具をつくってみようと思いました。それが始まりですね。
 

一軒家をアトリエに、ふたりでモノづくり。

僕が家具をつくり、その家具に仲谷のジュエリーをディスプレイして、ちょっとした展示会に出品したら、そこで思った以上に売れちゃって(笑)。ふたりで出品のために5万円ずつ出し合ったんですけど、30万円以上売れたんですよね。

 

モノづくりの場所もお金も必要だということで、ふたりで世田谷区の一軒家を借りて住むことにしました。畳の部屋で家具を、台所でジュエリーをつくっていましたね。
 
当時仲谷がつくっていたのは、メンズ向けのシルバージュエリーでした。次第に僕も素人ながらジュエリーづくりにアイデアを出すようになって。そうしてデザインも変化していって、今のe.m.のジュエリーへとつながっている感じですね。
 
まだこの頃は、e.m.の活動だけでは食べていけない状況でした。僕は家具づくりの知識がなく、もっと家具について知りたいと考えていたとき、表参道のライフスタイルショップH.P.DECO(エイチ・ピー・デコ)の求人案内が電信柱に貼ってあったのを見つけて。これだ!と思って(笑)、そこで働き始めました。
 
H.P.DECOは、インポートのインテリア雑貨や家具、アートなどを取り扱うお店で、e.m.の家具やジュエリーも取り扱っていただきました。
1997年には初のe.m.展も開催させていただき、さらに、H.P.DECOを運営していたアッシュ・ペー・フランスが展開している他のショップでもジュエリーを取り扱っていただけるようになり、H.P.DECOとの出会いがe.m.にとって大きな転機であったと思います。

 

 

展示会で知名度アップ、自分たちのお店を構える。

取引先も増え、世田谷区の1軒家に限界を感じて、あらためて場所を探し始めたとき、不動産屋さんに港区の白金に行った方がいいよ、とおすすめされて。

 

当時の白金は町工場が多い準工業地域で、1階が作業場で2階が住居という物件が多くありました。1998年に僕たちが引っ越した白金の物件も、1階が土間で2階にそれぞれ部屋を持てるぐらいの、年季の入った一軒家でした。
 
2001年にイー・エム・デザイン株式会社を設立し、同年、アッシュ・ペー・フランスが主催する合同展示会「rooms」に誘っていただいて、参加するようになりました。これによって、さらに多くのセレクトショップのバイヤーさんにe.m.を知っていただくことができました。
BEAMSの限定アクセサリーデザイン・製作などのお取引が始まり、これまでとは桁が違う買い付けをしていただいて。つくること以外にも、経理など事務的な仕事も増え、その頃からもっと人が必要だ、と感じ始めましたね。

 
BEAMSでお取り扱いしていただくと、大手のセレクトショップからもお声がけいただくようになり、僕らとしては、図らずしてブランドがどんどん大きくなっていく、という印象でした。
ブランドを始めた頃から「自分たちのお店が欲しい」と考えていましたので、2003年に白金のアトリエ兼住居を大改装し、夢であった1号店をオープンしました。
まだ白金高輪駅もなかった頃で、不便な場所にある小さなお店だったのに、自分たちが思っている以上にお客様に来ていただいて。週末ごとに並んでいただくような状況になりました。

 

ずっと変わらないコンセプト。

夢だったお店のオープンから一歩ずつ成長を続けることができましたが、ブランドのコンセプトであり、企業理念である“みんながよろこぶモノづくり”“ありそでなさそなモノづくり”は、ふたりで始めた頃から変わりません。
 
“みんながよろこぶモノづくり”は、自分も喜んで楽しくモノづくりするし、工場の方々も、バイヤーの方々も、そしてお客様も、みんなが喜んでくれるということ。僕たちが生み出したモノで、喜びの連鎖が起きるといいなと考えています。
 
「モノ」は、以前はひらがなでしたが、あえてカタカナの「モノ」に変えました。
いわゆる「モノ」をつくることだけではなくて、それにまつわるさまざまな「コト」も当てはまる、という想いからです。
会社としてはさまざまな仕事があり、誰かの仕事で一緒に働く仲間が喜んでくれる、そのような場をつくっていきたい、という想いも込めています。

 
“ありそでなさそなモノづくり”も、モノづくりを始めた時から常に、これまでになかった発想でつくりたい、という想いがあって。奇抜ということではなく、「欲しいけどこんなのなかったな〜」というような、そんな商品をつくりたいと常に考えています。
 
そして“ありそうでなさそう”は、つくり出すモノだけではなく、会社経営でも同じく大切にしています。
どこの会社でも同じだと思いますが、こうすれば成功する、という答えはないじゃないですか。
ブランドを始めた当時は、今ほどジュエリーブランドは多くはなく、e.m.はさきがけ的なブランドだったと思います。だからこそ、お手本にするブランドも会社もないなかで、e.m.らしい道を切り拓いていけたらと思います。
「こんなやり方もアリか」と思ってもらえるようなやり方で、会社として、ブランドとして成長していきたいですね。

 

 

 

永続的にブランドを続けるために大切にしていること。

ここ数年、仲谷が卒業したジュエリーの専門学校で、ゼミ講師を担当しています。
「永くブランドを続けていくために必要なものは何か?」というゼミで、そこでお話しているのは、理念と利益が大切、ということです。

 
ブランドをつくるうえで、みんなで同じ方向を向いて考えていきたいので、理念をしっかりと共有していくことが大切だと考えています。
e.m.には半期に一度つくる手帳があり、社員全員に配布されます。企業理念はもちろんのこと、部署ごとの理念や社員一人ひとりの目標も記されています。社員全員で共有することで、共通認識をもち、同じ方向を向きながらブランドをつくることができていると思います。

 
また、続けていくためにはお金が必要です。先に、初めての展示会出品のためにふたりで5万円ずつ出し合った、とお話しましたが、何をやるにしても必ずお金が必要なんです。
いわゆる「ヒト、モノ、カネ」と言いますよね。それぞれが必要ですが、お金がないと人は雇えないし、モノもつくれない。事業を続けていくためには、毎年利益を確保していくことが重要だと考えています。
そのため、e.m.では新卒社員の入社時に、利益の成り立ちや、会社がどのように回っているかについて授業を行っています。

 

 

幸せの象徴としてジュエリーを世界へ届けたい。

世界情勢の影響もあり、ジュエリーの地金で使用する金やシルバーなど貴金属の価格が高騰しています。この先どうなるのか、僕自身もわかりません。
2021年で、e.m.を立ち上げて25周年を迎えました。50周年へと向かうために、今いるe.m.のみんなが主体性をもち、e.m.の一員として自分自身が成長し、会社も成長していけたらと思います。
今年度の手帳にも書いてある「全員e.m.」で、それぞれが主体的に仕事をしてもらえるような環境をつくり、若い人たちが次の時代をつくっていく、それができるようにしたいという想いが込められています。

 
僕たちがつくっているジュエリーは、衣食住に直接関わらないものです。平和があってこそ成り立つものだと思います。
だからこそ、常に平和を願う想いがありますし、平和のために貢献していきたいと思います。
平和でなければ、ジュエリーを身につけ喜びを感じることは難しい、言い換えると、ジュエリーは幸せの象徴ではないでしょうか。
e.m.は、永続的に世界に向けて“幸せの象徴”であるジュエリーを、そして幸せを届け続けるブランドであり続けたいと思います。

 

 

起業を目指す方へのメッセージ

何かを始めるきっかけ、チャンスは、どんな方にもそれぞれあると思います。やりたいことがあるなら、まずは“やってみる”ことが大切だと思います。
 
僕らがブランドを始めたのは24歳。若かったし、失うものもなかったし、自分たちも楽しくて、喜んでもらえるモノができたらいいな、そんな想いからでした。自分たちのお店が一つでもできたらいい、それぐらいの感じでやってみた感じですね。
白金の小さなお店を始めた頃、ふたりで小さなカバンにジュエリーを詰めこんで、代官山でカバンを広げ露店をやったりもしました。許可を得なくてはいけないのですが、そんなことも知らなくて、怖い人に代官山なのに大阪弁で怒鳴られて(笑)。そんなこともありました。

失敗するかもしれない、でも失敗したら、次はどうしたらいいか考えればいいと思います。まずは、やりたいことがあるなら、やってみる。そこから何か見つけて、またブラッシュアップしていけばいい。必要なのは“やってみる”その勇気だと思います。
 

 

記事投稿日:2022年9月30日