株式会社アークコミュニケーションズ
株式会社アークコミュニケーションズ
「わかりやすく伝える」を強みに
翻訳事業やサイト制作
株式会社アークコミュニケーションズ
代表取締役大里 真理子

代表取締役
大里 真理子さん/Mariko Osato
1986年 東京大学文学部卒業後、日本アイ・ビー・エム株式会社入社
1992年 Kellogg School of Management卒業、MBA取得
1992-1997年 ユニデン株式会社 武漢支店長など歴任
1997-2005年 株式会社アイディーエス 取締役就任
2005年 株式会社アークコミュニケーションズ代表取締役就任、現在に至る
1児の母でもあり、経営者と母との両輪に加え、パンチ工業(株)社外取締役・取締役会議長や、同窓会運営、会社でのCSR活動や、スキーオリエンテーリングの普及活動、関東大学女子サッカー連盟・日本ローイング協会・全日本野球協会の理事など、幅広くエネルギッシュに取り組んでいる。
「わかりやすく伝える」ことを強みに
翻訳事業やサイト制作、人材事業を展開
―「アークコミュニケーションズ」は、どのような事業を展開していますか。
当社では「お客様の思いや本質を、わかりやすく世界に伝える」というミッションを達成するため、大きく3つの事業を展開しています。
最初に立ち上げたのが翻訳事業です。DIAMONDハーバード・ビジネス・レビューの記事を訳すなど、経営コンテンツの翻訳に強みがあります。昨今では和訳よりも英訳が圧倒的に多く、統合報告書や有価証券報告書の翻訳も行っています。翻訳そのものだけでなく、デザインやレイアウト整形作業などマテリアルとして完成度を高める作業もしています。
2つ目が、企業のコーポレートサイトなどの企画制作事業です。昨今では、200や300のホームページを持つ企業もありますが、コーポレートサイトはどの会社にも1つしかありません。当社では、わかりやすく世界に伝えることを強みに、企業のブランディングを意識したコーポレートサイトを作っており、BtoB企業や研究所など一般の人からは活動内容がわかりづらい会社のコーポレートサイトを作ることを得意としています。グローバル展開のための英語や中国語、ベトナム語のサイト作成も請け負っています。
最後は、語学に強い人材を、企業にオンサイトで出す際の人材派遣や紹介事業です。
―会社の規模はどれくらいでしょうか。
社内にいるメンバーが40人ほど、お客様のオフィスに派遣している人が40人ほどいます。
―大里様の大学卒業後のファーストキャリアについて教えていただけますか。
最初に目指したのは、教員でした。私は中学高校時代を大分県で過ごしましたが、特に私がいた佐伯市という地域では、女性が働くイメージがありませんでした。働いている女性は学校の先生か、町のショップのオーナーくらいしかモデルがなかったことと、私自身がとても良い学生時代を送ったこともあり、働くなら学校の先生になりたいと思いました。
東京大学に進学した後は、教員になるための勉強もしていましたが、東京で皆に「あなたが理想としている教育は東京では実現できないよ」と言われて、少しずつ心が揺らいでしまいました。そこで、当時キャリアウーマンという言葉が流行っていて、女性がビジネスの世界に入る道が盛り上がり始めていたこともあり、外資系に入れば違う道が開けるかもしれないと思いました。
外資系に行くならば英語が上手にならないといけないと考えて、それまでは理系でしたが英文学を専攻することにしました。就職活動の際には、「これからはコンピューターの時代だ」と思い、日本アイ・ビー・エム株式会社(以下IBM)に入社しました。
外資系企業、MBA、新規事業立ち上げを通じて
経営に関わるキャリアを積む
―IBMではシステムエンジニアをされていました。
IBMでシステムエンジニアとして働いたことは、私のキャリアにも興味にも、とても良い経験になりました。コンピューターを経営に活かすためには、会社の成り立ちについても学ぶ必要があり、システムそのものの知識だけでなく、製造業における受発注や工場、研究施設の仕組みといった根本的な部分も学びました。
そうした中でお客様と一緒になって、どのようなシステムを作ればよいかを考えていました。私が担当していたのは主に大企業の基幹業務を支えるメインフレームの開発案件でした。そうした経営の根幹を担うシステムに関われたことは、非常に貴重な経験でした。
―入社からしばらくして、アメリカのビジネススクールに進学されました。
IBMの面接のときに「あなたはIBMで何がしたいですか」と聞かれました。その時はまだ具体的に何がしたいかはっきりとしたビジョンがなかったため、とにかく一番高い目標をと考え「社長になりたいです」と答えました。なぜかこれがとてもうけて、人事部の人たちに面白がってもらえて、新しい部署に所属になった時に、「次期社長の大里さんです」と紹介されてからかわれました(笑)。
しかしこれをきっかけに、実際にIBMの経営を担うにはどうしたらいいかと考えるようになり、それには自分にはまだ経営の知識が足りていないことに気づかされました。そこで改めて経営の観点を学びたいという思いが強くなり、ノースウェスタン大学のケロッグ経営大学院(以下Kellogg)に進学しました。
―Kelloggではどのような学びがありましたか。
一番の学びは、答えがわからないことに対して問い続け、答えを探し続ける姿勢を身につけたことです。当時も今もそうですが、経営者を育てるビジネススクールでは、知識を教えるだけではなく、ケーススタディというロールプレイングのような授業があります。
例えば、「あなたはとある企業の社長で、中国に進出すべきかどうか迷っている」というような課題と、その会社の状況などの関連資料を20ページくらい与えられて、「自分が社長だったらどうするか」をひたすら考えます。
私は最初、何をやっているのかさっぱりわかりませんでした。例えばファイナンスであれば用語を覚えて計算すれば正解が出せますが、ケーススタディでは先生が正解を教えてくれるわけではありません。ですが、実際に経営をしてみると、現実世界では正しい答えが1つだけではないとわかりました。MBAでは、正解がないことを問い続けて、自分で実証し続けるプロセスを学んでいたのだと、卒業して10年くらい経ってから気づきました。
―MBAの後は、ユニデンの中国支社で働かれました。
ユニデンでは、中国市場で携帯電話を売るための新規市場開発をしました。その経験もとても良かったです。アメリカのビジネススクールで学んだものを全て否定されるような体験でした。
新規市場開発をする場合、ビジネススクールなら、まず市場調査をすると習います。インターネットより前の時代なので、大きな図書館で「中国の携帯電話の市場」などと検索し、出てきたデータをエクセルで分析するわけです。ところが中国ではどこに行ってもそんなデータはありません。現地の中国人に聞いても、大幅に盛った数字を言われます。「ビジネススクールで学んだことは何にも役に立たない」と当時の私は思いました。
今の私なら、ビジネススクールで習ったのは市場調査の重要さであって、図書館での検索の仕方ではないとわかります。例えばメインのディストリビューターに中国市場の規模を聞いたり、実際にどれだけモノが売れているかをヒアリングしたり、同じ市場のドイツ人やほかの日本人と情報を交換したりと、いくらでもやり方があったと思います。でも当時の私はそこまで行き着きませんでした。
ビジネススクールでは、手段は自分で考えないといけないと教えられていたはずですが、そのことには後で気づきました。

キャリアは偶然から作られる
チャンスをつかんで起業へ
―起業するまでの経緯はどのようなものでしたか。
私は中国で大失敗をして、大きな赤字を作ってしまいました。その時は2つのことを感じていました。1つは「私のせいじゃない」ということです。私は社内で「携帯電話市場はそこまで大きくない」と、会社の方針に反対していたのですが、本社の勢いがすごかったんです。でもその後に中国バブルが弾けて事業が失敗したので、「反対していたのに、私のせいにされるのはおかしい」という被害者意識がありました。
もう1つは、損した分を取り戻そうという思いです。でも、なかなかうまくいきませんでしたね。失敗した直後に次から次へとアイデアを出しても周りから信用されないということは今ならわかりますが、冷静になれませんでした。そのときに、「いつか必ずチャンスは来るから、今はとにかく何もするな」とアドバイスをくれた人がいました。そこで初めて「何もしない」ということをやってみることにしたんです。
そうするといろいろなことが見えてきました。私が意見を言っても説得力がなかったということや、周囲の人が興味を持っていること、そして会社の動きも見えてくるようになりました。そんな中で社長が変わり、「これからはインターネットの時代だ」という時に、もともとIBMにいた私に新しいプロジェクトの白羽の矢が立ちました。事業が少し落ち着いたところで、やはりもっと自分に合ったほかの挑戦がしたいと思って、会社を離れようと決意しました。
実は当時、外資系の会社に転職する準備も進めていましたが、たまたま昔の上司にご挨拶に行ったときに、一緒に起業しないかと誘われました。ビジネススクール時代には、起業に興味はありましたが、正直自分が会社を立ち上げるとは思っていませんでした。当時のIBMには日本だけでも2万人の社員がいて、その規模の会社を作るにはどうしたら良いのか、全くイメージが湧かなかったからです。
でもユニデンは一代で一部上場まで果たした会社で、実際の経営を担っていた50人くらいの方を知っていました。毎日社長と話すような経験もしていて、急に会社の経営が身近に感じられるようになっていました。
―先輩から起業に誘われて、チャレンジすることにしたのですね。
私はそういうチャンスは逃してはいけないと思うタイプです。計画的偶発性理論をご存知でしょうか。キャリア開拓の分野ではよく出てくる、スタンフォード大学のクランボルツ教授の理論です。「キャリアの8割は偶然の出来事で決まる」という理論です。
日本ではそれは当たり前だという反応の人が多いですが、アメリカ人は当たり前のように小さい頃からキャリア計画を作り、それに向かって進むべきだと推奨されています。ですが、若い時に計画を作ってしまうと、そのときに自分が知っている職業しか選べず、キャリアが狭まるから良くない、と提唱したこの理論を読んで、私は「これだ」と思いました。
IBM時代、私は「何になりたいの」と聞かれても、よく言えば何でも好きなので、はっきりと答えられませんでした。しかし何がしたいか言わないと、全く自分のやりたいこととは違う仕事を割り振られてしまうため、「私はデータベースのスペシャリストになって、製造業のこういう分野に明るくなりたいです」というように、無理やり目標を作り出して言うようになりました。でもこれはその時の自分が知る範囲で無理に決めた目標であって、本当の自分の気持ちとは異なるキャリア計画だったのです。
そのような経緯もあり、偶然に見える機会を生かしてキャリアを作るという理論にとても共感していて、自分にとっては上司からたまたま声をかけられた今がタイミングだと思ったんです。
―その後、先輩とアイディーエスという会社を立ち上げてから、独立されました。
アイディーエスはもともと翻訳会社でしたが、私自身がIBM出身で、かつ当時はインターネットが広がりだした時代でもあったので、Webサイトを作るようになり、最後はIT会社になりました。
ですが翻訳をしたい人とIT会社に勤めたい人の思考の方向性や働き方は全く違うので、同じ会社の中でやるには無理がありました。そこで私がアイディーエスの翻訳事業部を買い取って立ち上げたのがアークコミュニケーションズです。

経営者としてとにかく実行
やり抜く姿勢を大事に
―経営者になってから、考え方の変化はありましたか。
アイディーエス時代の話ですが、初日に手書きで事業計画を立てていて、間違ったから修正しようとしたら、シャーペンの後ろに消しゴムがついていなかったんです。ユニデンの時ならば、消しゴムがなければオフィスの文房具棚から取ってこられますし、そこになくても、総務に電話して消しゴムがあるか聞くことができます。
そのときに、起業するということは、消しゴムがなければコンビニに自分が走って行くことだと学びました。起業はかっこいいイメージがあるけれど、実際はそういうところから始まります。
―起業後、どのようなことを大事にされていますか。
ビジネスを成功させるために大事なことは、2つあると考えています。誰よりも早くやることと、実際にやることです。
世の中で「ちょっといいな」と思うことは、絶対にほかの人も考えています。ビジネススクールでは、「君が何かを思いつけば、少なくともほかに200人は同じことを思いついている。でも実際にやる人は10人足らずで、成功させるまで頑張り続ける人は1人か2人だ」と言われました。今だとインターネットがあるので、調べればほかの会社がやっているかはわかるし、調べれば調べるほど、アイデアの悪い点が見つかってやりたくなくなるのが常ですが、とにかくやってみて初めてフィードバックが返ってくると私は考えています。
状況はどんどん変わっていくので、しょっちゅう試しては変えるということを繰り返しています。とにかく常に動いていますね。私はせっかちな部分があり、すぐ成果を知りたいので、短いサイクルで回したほうが、すぐフィードバックが戻ってきて良いと思っています。
―試行錯誤のサイクルを早く回す中で、苦労されたことはありますか。
周りがついて来られなくなることもありました。でもビジネスはチームでやっているので、皆が快適だと思う回転速度にしないとうまくいきません。
起業したばかりの頃は、チーム全員に全速力で進もうと言っていた時代もありましたが、そうすると社員も息切れしてしまいます。そこでゆっくりやってみたら、時間はかかるけれど、最終的にはうまくいくこともあるとわかりました。
急ぐときは、自分で判断して急がせてしまいがちですが、スタッフは腑に落ちません。「大里さんの言った通りにやっただけで、別にそれは成功体験でも何でもありません」と言われたこともありました。それぞれのスタッフが、自分で考えてこれだと思うことをできることが大事ですね。
これからの時代に求められるのは
問いを自ら立て、答えを探す力
―子育てをしながら働かれてきたご自身の経験は、経営にどう生かされていますか。
自分の子どもを育ててみると、社員の皆が誰かに育てられ、愛されている一個人だという実感が湧きました。
例えば、ビジネススクールに通っていたときなら、リストラのケーススタディがあったら、感情抜きに優れた経営案を考えることができます。でも実際に当社で誰かをリストラするとなったら、「その社員のお母さんはどう思うだろう」という思いも入ってきますし、それでもやらないといけないときもあります。それがリアルです。いずれにしても子育てをしていると、社員も1人1人の人間だということは強く思いますね。
ダイバーシティを大事に経営するという意味では、当社では仕事柄、外国の方と仕事をすることも多いですし、たまたまLGBTの方がメンバーにいたこともあるので、無理なくできていると思います。
私自身、子どもの頃は転校生でしたし、東京大学でも女性は少なく、常にマイノリティ側にいたので、ダイバーシティは私にとっては無理なく大事にできることでした。女性やシニアの方など、マイノリティの人たちの素晴らしい能力を活用することで、会社にチャンスが生まれるとも思っています。普段から、1つ1つのプロジェクトで質を高める時や決断をするときに、多様な人がいるといろんな見方ができると感じています。
―今後の会社の展望をどう描いていますか。
社員には、これからは自ら問いを立てて、一緒に答えを見つけていく基礎能力を磨いていく必要があるというメッセージを伝えたいと思っています。
端的な例が生成AIです。AIを使いこなすには、どのような質問をするかがコツですよね。今の時代は、問題解決能力ではなくて、問題を設定する能力が大事です。また昔ならばごく一部の人たちだけで解を見つけようとしていたのが、今では生成AIもお客様も含め、幅広く巻き込んでいかないと、付加価値が出せません。
―生成AIの活用も進む中、今後の事業の方向性をどう考えていますか。
クリエイティブを作ることと、コミュニケーションを促進すること、人材を支援していく部分に重点を置いていくと思います。当社は実はまだあまり生成AIの影響を受けていません。なぜなら現在当社が取り組んでいる仕事、例えば統合報告書の英語版の作成では、翻訳の質の担保もグラフィック作成の必要性もあり、AIではなく人が必要だからです。クリエイティブを作る部分や、英語を使って人がビジネスをするための人材支援の方向に進むと思っています。
ちなみに現在、内閣府から3ヵ年計画の大型プロジェクトを受託しています。岸田政権時代に日本のベンチャーキャピタル市場を10倍にする構想が打ち上げられ、その一環として、アメリカとの人材交流プロジェクトが発足しました。
当社は東大IPC(東京大学協創プラットフォーム開発株式会社)という東京大学の投資事業会社と、一般社団法人STELLAR SCIENCE FOUNDATIONという、大阪大学医学系研究科の武部貴則教授の会社と組んで、知財や法律に強い人材や、アントレプレナーシップのあるポスドクの日米間の人材交流プロジェクトを行っています。
会社として、こうした人材支援の仕組みを作ることも行っていこうと考えています。
うまくいくまで諦めない
執着と覚悟を
―港区で起業して良かったことはありますか。
地の利が良いですね。こういう時代だからこそ、対面で会うのはとても大事だと思っていますが、港区からはどこでも便利に行けます。
港区には個人的な思い入れもあります。私は幼稚園の頃の1年間、父の勤務先の社宅があった札の辻の近くに住んでいました。たまに当時の記憶を風景に重ねることもあります。自分のアイデンティティに近い所に住めるのはやはりうれしく、ずっとここにいます。
当社がある泉岳寺駅は京急線と都営浅草線が走っていて、神奈川や千葉方面にもアクセスできるため、広範囲から優秀な人材を集められる点もおすすめです。
―これから起業したい人へのメッセージをお願いします。
執着と覚悟を持ってやることです。
私はビジネススクールに行ったので、戦略ももちろん考えます。それはそれで大事ですが、一番大事なのは実行して、最後まで諦めずにやることだと思います。人によっては失敗するのが好きではない人もいますが、起業は失敗の連続です。その失敗から学びながら方向を変えていくことが大事です。同じことをやり続ける執着ではなく、うまくいくまで諦めないという執着と覚悟を持っている人が成功していると思いますね。

記事投稿日:2026年1月12日


